歴史

​由縁

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平安時代 安和二年の政変で皇位継承にやぶれた宮人が逃げ延び、川底に沸く、現在の自噴泉岩風呂を見つけ傷をいやしたとされる薬湯。今日に至るまでこんこんと湧き続け旅人に悠久の恵みを与えている
大丸あすなろ荘 歴史原初
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平安中期の開湯といわれている二岐温泉 大丸あすなろ荘。
 福島県の南西部・会津地方と中通り地方の境界にあり、二岐山の東麓ブナの原生林に囲まれ、二俣川渓谷に湯けむりをあげる山の宿。
 平安時代にはすでに湯が湧き出ていたとされ、古くは「二俣」と記され、江戸から明治にかけては「二股」、そして現在は「二岐」と記されている。
 明治初期には、湯治をしに旅人が一俵の俵を背中に担いだり、食料を背に担ぎ、峠下より数日かけたどり着く湯の宿だった。湯治を経て帰るころには、”足腰が楽になった…、生き返ったようだ”とよく言われ、見るからにシャキッと立ち、来た時にはゆっくりだった足取りも、帰るころにはスタスタと歩く姿が印象的だった。そんな時代…。
 明治●●年の茅葺屋根の「大丸屋」。当時は茅葺で火を焚き、茅葺をいぶすのが普通であったが、国の重要文化財に内定されることが決定した際に、いぶすのは火事の元である。とのことで茅葺のいぶしが禁止された。そのことが影響し、昭和39年には茅葺の「大丸屋」は倒壊する。保証も何もない時代、このまま旅館を続けていくことがこの山奥でいいことなのだろうか?旅館ではあるが、家業でもあり皆で考えあぐねた。父、母が朝晩なく働き続けたこの宿。言葉はなくとも無くすことなど考えられなかった。そこが居場所だったから…。
 昭和40年代から徐々に道も舗装化された。都市の近代化に遅れはとっていたが、少しずつ車も走り、人々の生活も変化を始めていた。高度経済成長期への入り口だった。
 昭和39年に大雪で一部倒壊後、この土地で家族皆で何とか生きていこう。そう決め当時としては近代的な山小屋を建てた。大型の旅館が普通であったその当時、やっと多くの方々に来てもらえる宿を造ることができた。オープン式には高松宮宜仁殿下に来館頂き、「大丸屋」という名に建物近くに長くから生きてきたあすなろの大木をご覧になり、「大丸あすなろ荘」と命名していただいた。緊張と嬉しさのあまり涙がこぼれる。山の中で生きていくのは簡単ではなかった時代、いろいろあったが、この土地で生きてきて本当に良かったと思える瞬間であった。
 昭和50年4月に、”日本秘湯を守る会発足”小さな湯治湯の宿。山の奥にあるから誰にも気付いてもらえない。そんな宿を忙しさの中時間を少しでも作り、数年かけて同じ山奥の宿の友と呼べる人に頭を下げて回った。33軒だけの小さな宿集団であった。互いの宿を来たお客様に紹介しよう。そう誓いあい何とか不便な山の宿を互いに支えあった。心より信頼できるそして、互いの悩みを言い合える友であった。
 現在、日本秘湯を守る会の一員として、宿を残すことが出来ている。いつまで続くかわからないが、お客様が”また来るね”そう言って下さるうちは続けていければと願っている。
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明治初期 大丸屋
​谷文晁 日本名山図会
昭和45年代
昭和50年代
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